市原に見る平安時代のおもかげ
Heian period.
市原市内には平安時代の頃の生活の跡が今も残されています。
上総国分寺
今からおよそ1,250年前の奈良時代、聖武天皇の命令で、仏教の教えにより国の安寧のため全国に建てられた寺院の一つです。複数の建物で構成される施設ですが、そのシンボルが仏様の骨の代わりのお経を収めた七重塔です。市役所近くの史跡内には、この塔を支えるために築かれた基壇と礎石が今も残っています。
市役所第2庁舎ロビーには、実際の塔を20分の1にした模型が飾られています。
上総国分尼寺
国分寺(僧寺)とともに築かれた尼僧が置かれた尼寺です。現在の市役所を挟んで東側に位置します。その寺域は全国最大規模を誇り、発掘調査によって寺の主要施設の他に、工房や井戸などの維持管理や尼僧の生活を支えた遺構が数多く見つかっています。
稲荷台遺跡
竪穴建物跡や掘立柱建物など、遺跡内には整然と施設が並び、また輸入陶磁器や占いに使われたとみられる器や動物の骨など、通常のムラからは出土しない数々の遺構、遺物が見つかり、国司の館跡であったのかもしれません。
古代道跡
両側に側溝をもつ幅6mの道路で当時の公道として、牛車など使った人々の往来に使われました。
市原条里制遺跡
奈良・平安時代に律令制のもと整然と区画された水田跡です。東関東自動車道を造る際、市原台地から海岸部へ続く低地に、水田の畦道などが見つかりました。